2007年9月26日、11年の長きに渡って携わってきたプロジェクトに別れを告げた。 今思えば、あまり長かったという感慨はない。かえって、いろいろな思い出や良い 経験を積むことになり、自分自身を大きく成長させることができたと思っている。なかなか こういう機会はカイシャでは出来ないと思っているので、これはこれで感謝している。このプロジェクト離脱は、同時にこれまで所属してきた組織からの離脱も意味する。 どこで区切ればいいのか若干難しいところはあるものの、UNIX という意味では、 1986年から携わり、Solaris という意味では、1990年から携わってきた。いずれにせよ、 20年近いシゴトをしてきた部署である。そこを離れ、2007年10月1日より全く 新しいシゴトに変わることになる。
そんなわけで、今週末は自席の片付けを行ってきた。幾度となくあった事務所の 引越しで割と少なくなってはいるものの、ダンボール3箱+自席キャビネットの中身がある。 それらの荷物をすべて処分した(行き先 の部署ではほとんど荷物が置けない為)。新旧さまざまな書類があったが、 有無を言わさず捨てた。大量の媒体も捨てた。唯一捨てられなかったのは、入社 当時から5年ほどつけていた数冊の手書きのノートだった。
そうして残ったのは、たった5センチほどのノートの束であった。20年のシゴト の残滓がこれか・・・が、まぁ自分にはこれで充分である。
ただし、私物の多いこと多いこと。俺は一体ナニをしてたんだっけ?と思うくらい のおもちゃやら写真が続々と発掘された。大部分は、部下に無理やり押し付けたり 捨てたりしたが、写真はさすがに捨てられない。整理して自宅に持ち帰ってきた。 今回の記事はこれら写真の中から感涙(?)モノを紹介する。
※写真をスキャナで読み込んで、画像補正しているので若干汚いのはご容赦をば…
私のバイクの履歴はTOPページにあるとおりである。 この写真は、三代目バイクの CBX400F である。年代的には1984年頃である。 当時カネも無いのに、400cc が 欲しくなり、既に CBR400F が発売されていたにも関わらず、この非力なバイク を購入した。
箱根峠上記写真は、友人と箱根峠に走りに行った時の写真である。友人は XJ750。 当時では恐れ多い限定解除者だった。だが、それをものともせず箱根新道の七曲で外側から抜いたら、 その後の直線ですごい勢いで抜かされ「あああ、怒ってるなぁ…」と 少し反省した記憶がある。
なお、後ろの車を見ると当時を彷彿させるものがある。一応、ツナギにブーツといういでたちではあるものの、このウルトラマンみたいな赤と 銀色の HONDAツナギは、革でなく合成皮革(正確にはビニール)である。メットは当時はやりのアライのクーリー レプリカである(このメット、2000年のライダー再デビュ時に再使用されるのである)。
このツナギ、 当時はそれなりにカッコ良かったと 思っていたが、一コケすればズタボロになるであろう、膝以外にはプロテクタも 入ってないシロモノであった。(バイクを降りた後もしまっておいたのだが 数年でデロデロになってしまい捨てた)
CBX400F 当時の寮にて撮影貧乏寮暮らしをしている中、次に登場するクルマを所有することになったため、 手放してしまった。今思えばかなりもったいないことをしてしまったと思っている。 確か、コレに乗って最初で最後の鈴鹿8時間耐久レースを見に行った。おそらく それがコイツの最長ツーリングだったような気がする。カミさんと知り合った 当時でもあり、今のカミさん乗っけていろんなところにいったなぁ・・・
若干8,000km程度の走行 距離で CBX400F は我が手元を離れた。
1984年だか1985年のある日、実家(静岡県磐田市)の人間がやってきた。 父親・母親・兄貴・妹がこのちっこいクルマにのってやってきた。確かそれまで 聞いていた車とは違うのだが・・・
聞けば、オヤジの会社の従業員が買ったのはいいが、ローンが払えなくて困って いたそうなので、このクルマを引き取ったとのこと。 そう、コイツは、 CITY TURBO-Iなんとはなくクルマが欲しかった私は、適当にオヤジに話をつけてこの車を我が手中に 収めた。
ちっこいクルマであったが、1200cc/100ps(ネット) のこのクルマは驚くほど よく走ってくれた。まぁ、アイポイントが高いため、低速でもスピード感が 高かったせいもあるが・・・
発売当初から、「トールボーイ」と銘打ち、居住性はそこそこよかった。 なんでも最初のオーナーのにーちゃんがフルオプションで買ったみたいで、 ボディソニックなる、シートが振動するオーディオまで付いていた。 とにかくいろんなところにコイツで出かけた。100psのネット値はグロスで 言えば80psそこそこで、現在所有のバイクにも負けるのであるが、このターボ エンジンの後半のモリモリ感はかなりいい感じでブン回しても安全だし かなり気持ちのいい車だった。常用18万回転毎分で回るターボのフィーリング はアクセルを踏んだだけ前に進む感が顕著で面白かった。
そういえば、ダッシュボードにエアコンを使った 冷蔵庫があったし、取り外し式のティルトアップのサンルーフありと結構 いいモンを持っていた。手元に当時のデータがある。1985年の10月12日の給油から、1992年の2月18日 の給油まで、全120回の給油・約5万キロの走行で、総合燃費は13.7km/L で あった。最後には、塗装がサビでボロボロになり、走るたびに軽量化が進んで 行った記憶がある。この後 INSPIRE に乗り換えることになるのだが、本当に エキサイティングでいいクルマだった。
HONDA Collection Hall 特集(走行シーン・エンジン音他)
若干話しが変わるが、高校の中盤からギタリストになった。 当時は松山千春とか、長淵剛が「ギター一本」みたいな感じのソロでがんばって いた時代である。さらに、バイクだけでなく、ヤマハやカワイ、ローランドなど の楽器産業もさかんな静岡県西部地区の生まれである。必然的にこうなった。これはカイシャに入っても変わらず。寮でも相変わらず。これまた必然的に バンドでもやっか?みたいな話になった。寮の先輩2と私。何故か最初は ドラムス担当になった。が、さすがに慣れないのと、ボーカルの先輩も ネをあげて、どうしようかと思いあぐねていた時に、ドラムスが得意な 人を get。この人をリーダに。ついでにキーボードの人も get(この過程でカミさんをget したのはヒミツだ!)。リードギターの人やら、ボーカルの女性3人まで 集まってしまって、かなりの大所帯となった。必然的にバンド名を考えないと いけなくなった。
バンド名は「Weekend Shuffle」。
たまたまその辺に転がってた寮の先輩の 部屋で見つけた 筒井 康隆の小説の名前である。
そんなことやってたら、別のバンドの人からお誘いがかかり、一緒にライブやらないか? とのこと。当然ノリノリで参加。第一回目のライブ写真が以下である。
ライブ第一回
なんの相談もなく、ハチマキ&かざぐるまつけてエプロンで(ベースの先輩は背中に ウルトラマン背負ってる)出演したら、リーダはかなりご立腹であり、後でかなり 怒られた。しっかし、かなりヘタなこの私が出演して、なおかつカネをとるとは 不届き千番の行為である。なおかつ、
ライブ第二回第2回まで実施とは。この時には、ベースの先輩とリードギターの人が他に移籍し てしまったので自分がやらなくてはならず、カゲに隠れているわけにはいかなくなった。 どうにかこうにかやったものの、ムチャクチャだった気がする。
最初の曲で、トレモロアーム全開をやることになってたんだけど、弦は直前に 張り替えたもので、そもそもチューニングがあわせにくいところにもってきて MCも入らない。一応曲終了直後に音あわせを行ったものの、緊張してるしやっぱり 不完全。その後の曲は調子っぱずれなまま続行、それも大音響で(泣)。後で テープ聞いて寒くなった。 まぁ、そんな若き日の過ちの図でありました。
いじょ